ブローカ野




黒丸あたりに運動性言語野(ブローカ野)というところがある。

1861年 ピエール・ポール・ブローカ(1824−1880)が勤める病院に ルボルニュという51歳の男性が入院してきた。31歳で喋れなくなっていたがしかし、その他の知能はまったく正常。37歳で右下肢の運動麻痺が始まり、44歳からは寝たきりの生活に。6日後に死亡した。ブローカはその24時間後に剖検を行い、左の下前頭回に脳梗塞を見い出した。こうして、運動性言語野は発見された。この領域はブローカの名前をとってブローカの運動性言語野、ブローカ野、ブローカの中枢とも呼ばれる。